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留年8年目の大学生日記

TOP OF THE FUCK'IN STUDENT

The MirrazのMV「気持ち悪りぃ」の解釈

あー気持ち悪りぃ

あー気持ち悪りぃ

 

あまりにもストレートで挑発的な歌詞の後には

不倫をした常識のない人から「常識ないね」と言われた、ことが綴られる

どうやらその人を「気持ち悪りぃ」と非難しているようだ

 

MVで映されるのは、子供の遊園地で大はしゃぎする姿

バンドのメンバーは4人とも30前後、そんないい年の彼らが

 

・コーヒカップを楽しそうに回る

・メリーゴーランドを楽しそうに回る

・子供向けのジェットコースターを楽しそうに回る

・大きなビーチボールの中で楽しそうに回る

 

その姿は滑稽というか「常識がない」

 

これはThe_Mirrazなりのレトリックだろうと思う

 

不倫をするような常識のない人から「常識ないね」と非難され

「そんなお前も常識ねえよ」と非難し返すけれど

子供用の遊園地で大はしゃぎする姿はやはり「常識がない」

 

別の言い方をすると、

「気持ち悪りぃ」奴に「気持ち悪りぃ」と言われて

「気持ち悪りぃ」と言い返すけれど

そういう自分も「気持ち悪りぃ」

 

これはつまり、非難のウロボロス性を象徴しているんじゃないだろうか

 

結局のところ、

誰かからみたら、誰もかもが常識がないし、誰もかもが気持ち悪い

相手は気持ち悪いけど、そういう自分も気持ち悪い

 

ならば、そうした非難が循環するような世界に即して

我々はどういう態度で生きていけばいいのだろうか

 

非難のブーメランを恐れて、主張を押し殺すしかないのだろうか

 

彼らの結論はこうである

 

間違いだらけのこの世界で間違い探しを楽しもうか

あれもこれもそれもこれも 何もかも何もかも何もかも

 

正解だらけのこの世界で正解探しを楽しもうか

あれもこれもそれもこれも 何もかも何もかも何もかも

 

彼らは、間違い探しや正解探しを「楽しもうか」と言っている

非難や主張を「楽しもう」と言っている

 

「どうせみんな気持ち悪りぃよ、そんなの気にせず楽しもうぜ」

とでも言わんばかりの、開き直りのような態度である 

 

コーヒカップやメリーゴーランドを楽しむ自分たちを

気持ち悪りぃと自嘲しながら楽しもうとする楽観的な態度である

 

そのオプティミズムな考え方が、自分はとても好きだ

 

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ボトルメール

傍観者の人生は気楽

当事者の経験は面倒

 

当事者になれば

必要以上に気を遣って、疲れてしまう

相手を楽しませようとして、自分の体感を犠牲にしてしまう

 

逆に、相手に気を遣わなければ、気楽

でも、最近それができない

彼女がいたときはできた

 

セックスが関係している?

それはあるかもしれない

 

いやいやセックスもしたくないし

彼女も欲しくない

 

誕生日も祝って欲しくないし

メールも送って欲しくない

 

存在は確認して欲しい?

それはある

 

一緒にいたい?

それもある

 

自分はどんな時に幸せを感じるのだろう

 

傍観者として生活していると幸せだと思う

 

だから今の、誰とも関わらず、生活する人生は幸せだ

 

誰かのためにしなければならない

誰かのためにしなければならない

 

そういう強迫観念とは無縁の生活

だから自分の感覚や考えを大切にできる

 

ゆっくりと息を吸って

ぼーっと周りを眺めて

自分のペースで生活することができる

 

でもたまに、その人と一緒に生活してみたくなる

でもたぶん、その発想は現実的ではない

 

実際に関われば、

必要以上に馴れ合うか、深入りするか、

そういう関係になるだろう

 

理想的には、

「うん」「おう」「まあ」

で済むような簡潔な関係を思い描いているけど

 

それは現実ではあり得ない

 

お互いの沈黙を恐れ

必要以上に会話をして

いつかきっと疲弊する

 

だから結局のところ

それを思い描いて楽しむ方が

幸せなのだ